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縄文時代はどんな時代?

定住生活が始まり、それに伴う土器などの家財道具が出現。漁撈や木の実採集メインの生活になった時代。 他にも土偶など宗教的遺物が見つかった時代でもある。

また、旧石器時代後半のネットワークを重視する傾向が引き継がれていることが分かっており、丸木舟が見つかったり遠い場所から出土されるはずの石が見つかったりもしている。案外広い範囲で活動していたようである。

縄文時代の分類

旧石器時代ほどではないが、縄文時代は1万年と他の時代区分と較べても非常に長い期間を指している。 そこで、旧石器時代と縄文時代とを区別するモノとして取り上げられることの多い「縄文土器」に着目。 その変遷によって6期[草創期・早期・前期・中期・後期・晩期]に分類されている。

縄文時代の分類
時期 出来事・特徴 メモ
草創期
1万5千

1万千年前
南九州の他、静岡や神奈川など太平洋沿岸に
  遺跡が多く発見
  ('13年に奈良県でも草創期の遺跡発見)
後の時代の集落の様ではなく、山の斜面を掘っ
  て作ったものや岩陰、洞窟に住む例も多い
  (勿論、竪穴式住居も発見されている)
定住の傾向はあるが、まだ流動的
石を敷いた炉のような施設も使用
最古の土器は無文。その後、隆起線文・爪形文
  と続き、約一万年前から縄目模様がついた土器
  が作成されるようになる

出典:国立歴史民俗博物館
(青森県大平山元 I 遺跡:
日本列島で最古の土器)
※リンク切れ

草創期の遺跡・・・
    大平山元I 遺跡
    (青森県外ヶ浜町)
    万福寺遺跡群
    (神奈川県川崎市)
    花見山遺跡(〃横浜市)
    勝坂遺跡(〃相模原市)
    竹内遺跡(奈良県葛城市)
    掃除山遺跡(鹿児島市)等

草創期の土器・・・
    無文土器
    豆粒文土器
    隆起線文土器
    爪形文土器
    多縄文系土器
    表裏縄文土器
早期
1万千年

7千年前
一度寒冷化した後、本格的な温かさに
     ⇒ 植物性食糧・河川漁撈の依存 ↑↑
定住の傾向がはっきりとしてくる
草創期でも見られた石敷きの炉や燻製器、
   家財道具がさらに充実
形・文様のしっかりした土器が安定的に出土
土器の地域差が見られるように。
   底が尖った「尖底土器」が多く発掘。

出典:みたか遺跡展示室
「特集!みたかの縄文土器」

条痕文系土器より

遺跡・・・
    垣ノ島遺跡(北海道函館市)
    上野原遺跡(鹿児島霧島市)
    八幡神社遺跡
    (山梨県甲府市)など

土器・・・
    撚糸文土器
    押型文土器
    無文土器
    条痕文土器など
前期
7000

5500年前
最も温暖な時期
  (ヒプシサーマル期・気候最適期)
縄文海進
土器の地域差がより明確になる。
  平底だったり浅鉢形の所謂「器」として使用できる
  土器も少しずつ見つかってくる。
地下に貯蔵穴を作り、木の実を貯蔵するように

出典:IPA円筒土器(前期)より

遺跡・・・
   上掵遺跡(秋田県東成瀬村)
   花鳥山遺跡(山梨県笛吹市)
   一ノ坂遺跡(山形県米沢市)等

土器・・・
   羽状縄文系
   円筒式土器
   大木式土器など
中期
5500

4500年前
人口が最大27万人まで増加
縄文文化の最盛期
  (前期〜中期にかけての時期が、温暖で人口増加
  や文化の発展が著しかった)
煮炊き用の土器の他、食器として使用する土器
  が増加

出典:wikipedia「火焔土器」より

遺跡・・・
   御所野遺跡(岩手県一戸町)
   一丈木遺跡(秋田県美郷町)
   天戸森遺跡(秋田県鹿角市)
   西ノ前遺跡(山形県舟形町)
   谷地遺跡(山形県蔵王町)など

土器・・・
   大木式土器(前期〜、東北)
   火焔土器(東日本)
   勝坂式土器(関東及び中部)
   曽利式土器(中部山岳地帯等)
   加曽利E式土器(関東地方)など
後期
4500

3200年前
気候最適期から徐々に冷涼化
植生の変化
人口は徐々に減少。
  人々が東日本から西日本に徐々に移動?
   (縄文時代の地域別推定人口数)
土器の形が多様化。土器が薄くなる

出典:wikipedia 人形装飾付
壺型土器(十腰内遺跡出土)


遺跡・・・
   小牧野遺跡(青森市)
   十腰内遺跡(青森県弘前市)
   浜詰遺跡(京都府京丹後市)
   伊勢堂岱遺跡
   (秋田県北秋田市)など

土器・・・
   十腰内式土器(東北・北海道)
   加曾利B式土器(関東地方)
   安行T式土器(関東地方)など
晩期
3200

2800年前
寒冷化が進んだ時期
人口の激減
稲作が伝わる
西日本で、東日本からの縄文文化と大陸からの
   新石器文化が融合しながら発展
      ⇒ 弥生時代に移行

    ※ただし、続縄文時代と呼ばれる時代が続く地域もある

出典:wikipedia「縄文土器」より

遺跡・・・
   亀ヶ岡遺跡
   青森県つがる市)
   手代森遺跡(岩手県盛岡市)
   東在家遺跡(秋田県鹿角市)
   青田遺跡(新潟県加治川村)
   二子山遺跡(熊本県合志市)等

土器・・・
   亀ヶ岡土器
   黒色磨研土器
   夜臼式土器など



旧石器時代から気温が上昇し、温暖な気候となり徐々に生活が変化した…というのが最近までの定説。

ところが、これまで日本の土器が最も古いと考えられていたのが、ロシアのアムール川流域や中国南部から15000年前〜18000年前の土器が出土したことにより大きく変化。 15000年〜18000年前と言えば、氷河期真っ只中である。

そのため、環境の変化により出現した結果出来たものではないと考えられるようになってきているようで、よく分かっていないのが現状である。

     

メモ

板付遺跡について
福岡県博多区板付の遺跡。旧石器時代以降後続する時代の複合遺跡だが、最も栄えたのは弥生時代。

弥生時代の集落は、水田を営むため湧水点のある平野の側の台地か微高地に立地される事が多い。

板付遺跡も例に違わず御笠川と諸岡川にはさまれた標高12mの低い台地を中心とした遺跡である。

井堰などの灌漑設備や用水路が整備され、木製の農機具や石包丁も出土。

参考:福岡市の文化財「板付遺跡」
弥生ミュージアム「弥生集落の特徴」
水土の礎「水を取る、井堰」

菜畑遺跡について
佐賀県唐津市菜畑の松浦川近くの低丘陵地に立地。住居跡の他、土壙墓・甕棺墓・水田跡・井堰・貝塚が検出された縄文時代前期から弥生時代中期までの遺跡。

参考:佐賀県:国指定の佐賀県文化財「史跡・菜畑遺跡」

参考書籍









参考URL

■草創期の参考URL
川崎市教育委員会「万福寺遺跡群縄文時代草創期出土品」
文化遺産オンライン 「勝坂遺跡出土縄文時代草創期遺物」
毎日新聞 「竹内遺跡:縄文草創期起源 出土の有舌尖頭器調査県内の集落形成、過程考察に重要資料/奈良」
かながわ考古学財団 考古学入門第3回ようこそ考古学「ようこそ縄文のムラへ-連続講座『住まい』@-」(pdf注意)

■早期の参考URL
山梨県遺跡トピックス「遺跡トピックスNo.207 八幡神社(はちまんじんじゃ)遺跡(甲府市)整理調査速報2 〜押型文系土器発見!〜」
上野原縄文の森「上野原遺跡の紹介」
同上「第8回 南の先駆性を示す上野原遺跡」

■前期の参考URL
新潟県立図書館 新潟県年表『縄文時代』
北見市 ところ遺跡の森 縄文文化(前期)の土器
函館市史デジタル版 円筒土器

■中期の参考URL
信濃川火焔街道「火焔土器の特徴と解説」
曾利式土器の研究(pdf注意)
国分寺市「勝坂式土器」
国立歴史民俗博物館 -縄文の記憶-「青森の円筒土器文化の土器」

■後期の参考URL
伊勢堂岱遺跡
千葉市「加曾利貝塚写真ギャラリー」

■晩期の参考URL
東京大学文学部・大学院人文社会系研究科「西日本縄文文化の基礎的研究」
古代の森研究舎「青田遺跡の縄文晩期の川岸に分布する土坑の用途」

■縄文時代全般参考URL
YOMIURI ONLINE 土器はいつから?人類文化の画期を探る
北海道・北東北の縄文遺跡群
畏れと祈り ■ 群馬の埋蔵文化財(ここのリンクから様々な形態の土器や土偶、石器などの写真を見ることができます)
國學院大學デジタルミュージアム「考古学資料館所蔵縄文土器

 メモ

 最も温暖な気候?
時期によって寒い時と暑い時があるのは何故?

そもそも地球は太陽の周りを回っているが、いつも円軌道を描いているわけではなく、周期的に扁平な楕円軌道を描く。

楕円軌道=太陽から受ける熱量の変化が大きくなる、ということ(=太陽から離れれば寒い、近ければ暑い)。

加えて地球の軸・地軸との関係などもあって、10万年で周期氷期と間氷期が起こるという理論(ミランコビッチ理論)がある。

時期による気候の変化は、そのミランコビッチ理論と大きく関係していると言う。 一方で、日射量は約2万年と4万年の周期で変化していることからミランコビッチ理論に対する反論もあるそうだ。

暖かくなった理由、寒くなった理由

ちょうど縄文時代が始まった1万5千年前頃〜最終間氷期(間氷期:氷期と氷期の間の時期)が始まっている。 この時期は日射量が変化したことで暖かくなったと考えられている。

その後、1万1000年前頃から1万年前に再度寒冷化し、ヤンガードリアス期と呼ばれる。

この時期の寒冷化は、「日射量の変化」とも「2万年または4万年の周期」とも「ミランコビッチ理論」と無関係で、海流の変化によるという説が有力。

温暖化で融けた氷河(真水)が流れ込み、それまでと違う海流に変化し、寒冷化。 その後、再度氷河(氷床)が発達して海流が変化したことで安定した暖かい気候になったと考えられている。

参考:「縄文海進」と地球温暖化に関する一考察(国土交通省 国土技術政策総合研究所)より

東京大学 大気海洋研究所 人類が経験した最大の気候変動、10万年周期の 氷期-間氷期サイクルのメカニズム

独立行政法人 国立環境研究所 地球環境研究センター ココが知りたい地球温暖化

日本第四紀学界「だいよんき Q&A」

 縄文海進って?
日本第四紀学界によると、縄文海進は「約7000年前ころ(縄文時代に含まれる)に、現在に比べて海面が2〜3メートル高くなり、 日本列島の各地で海水が陸地奥深くへ浸入した現象」のことを指す。

現在の海と離れた場所に貝等が捨ててある貝塚が見つかるのはそのため。

参考:第四紀学界 Q&A

 貯蔵穴はどんなもの?
ナチュラリストへのすゝめさんのどんぐりと生きる「縄文人のどんぐり貯蔵穴」に詳細あり 他にも「ドングリの食べ方」や「縄文ハンバーグ」などについて書かれています


 縄文時代の地域別推定人口数について
この表は1978年に遺跡数などからの推計による人口のため、その後発見された遺跡などは含まれていない。

なお、縄文時代の人口が東高西低なのが事実かどうかを検証している記事も見つけたので、気になる方は。 ⇒縄文と古代文明を探求しよう!「縄文探求シリーズ【縄文時代の人口】〜東高西低は本当か?(その2)」


 土器の形の多様化
深鉢/浅鉢土器、注口土器、異形土器など。

簡単に言うと、深い形のツボやカメ、皿のようなものや蓋のない急須のようなもの、香炉型といった様々な形態の土器が増加。



 遺跡について
縄文時代の遺跡は全国的に見つかってはいるものの、大規模なものは東北に多い。縄文時代の代表的な遺跡・三内丸山遺跡も青森にある。

今回の表にあげた遺跡は、なるべく複数の時期にまたがらない遺跡を挙げているので有名どころが表には記載されていない。

そんなわけで、有名どころの三内丸山遺跡、さらに日本最古の水稲稲作が発見された遺跡・菜畑遺跡板付遺跡をここで簡単にご紹介。

三内丸山遺跡について
日本最大級の縄文集落跡地で、前期中葉から中期末の遺跡。平安時代の集落跡も残っていますが略

大型掘立柱建物跡竪穴住居跡の他、 ごみ捨て場や貯蔵穴も発見。 また、大量の土器や石器、土偶の他、装身具や木器に骨角器…さらにはこの近辺で取れないヒスイや黒曜石も出土(交易の可能性)。 食べ物も見つかり、クリなどが栽培されたと考えられる。

参考:三内丸山遺跡