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ムラからクニへ

弥生時代は大規模な稲作が開始された。 さて、ここで疑問。大規模な稲作を行うには何が必要だろうか?

 豊富な水
 広い土地
 多くの人々

では、↑↑を効率的に利用するにはどうすれば良い?

  豊富な水と豊かで広い土地を増やすための土木工事
 水を利用するには近くに川が必要 ⇒ 氾濫対策のための治水事業
 多くの人をまとめるための強力なリーダーシップを持つ者
       (=弥生時代が首長社会と言われる所以)

これらの仕事をするようになると、集落が必要となっていく。 弥生時代早期の段階でも遺跡が多くある九州北部では、環濠集落が見つかることも多い。

環濠集落とは…?
“堀や溝で囲まれた集落”のこと。囲郭集落、環溝集落とも称される。北方ルートや長江流域から来たという説もあるが、朝鮮半島南部の可能性が高い。

【目的】
    防衛(他の集落や害獣から守る)のため
    保水・灌漑対策
    洪水対策
    内部の結束を高めるため ・・・と言われている。

なお、弥生時代の集落で有名な集落の形態として高地性集落も知られている。 が、弥生時代の代表的な集落として知られる環濠集落や高地性集落が実は数少ない珍しい集落ではないか?と最近は言われるようになっている。

参考:弥生社会における環濠集落の成立と展開(pdf)


これらの集落(ムラ)はやがて吸収合併を繰り返し、さらに大きなクニとなる。 日本各地にそのクニがいくつも出来て、そのクニの数は100以上も存在した。


ちなみに、日本神話の時代背景が弥生時代の頃と似ているという人もいるので、気が向いたら調べてみることにする。

邪馬台国と卑弥呼

数ある集落の中で現在でも有名なクニがある。卑弥呼と呼ばれる女王が治める邪馬台国である。 中国(漢〜魏・呉・蜀の三国鼎立時代)の『魏志』倭人伝に記述されている。

この邪馬台国は日本のどこにあったのか未だハッキリとした答えはないが、この書物からは中国の当時の王朝と交流していること、朝貢していた事実を読み取ることができる。

     

参考書籍





邪馬台国関連のサイト

邪馬台国の場所は現在でも分かっておらず、論争?になっています。 個人サイトさんやブログで邪馬台国を扱っていることも多いので、気になる方は参考にしてみてください。

BeneDict地球歴史館
邪馬台国と大和朝廷


邪馬台国の場所はここ!卑弥呼の国と倭国の全て!

邪馬台国の位置と日本国家の起源

 メモ

 広い土地について
現在の日本は国土面積に占める森林面積が約7割と言われている(森林林業学習館参照)。

開拓された現在でもその状況なうえ、旧石器〜縄文時代は氷河期と温暖化を繰り返して海岸線も大きく変化していた時代。
つまり、陸地にも水を含んだ土地(泥炭地)が多くあったことが推測され、まとまった広い土地を得るには大変な労力が必要だっただろうと考えられる。

(九州北部以外の地域では森林が緩衝地帯としての役割もあったらしい。弥生時代早期に九州北部以外で戦の痕跡があまり見られないのはそのため。)

参照:るいネット「弥生時代、戦争へ駆り立てたものは」


 土木作業・治水事業のこと

出典:佐賀県「史跡 菜畑遺跡」より 出典:大地への刻印「水田の誕生、弥生水田」より

土木・治水の歴史は弥生時代まで遡れる。この頃から既に河川から水を引くための矢板や杭で水路や井堰を備えたり、少ない水を効率的に利用するため水田を小さな区画に区切るなどしていた。この技術は現代にも受け継がれている。

参照:農研機構・農業技術ヴァーチャルミュージアム「目で見る農業技術発達史」(どうやら削除してしまったようです)
水上の礎 大地への刻印「土地を拓く」

集落大規模化の理由・手段
財産を増やすため
大規模な工事を行うため
効率的な水稲農耕のため

戦争・交渉が合併するための手段?少なくとも卑弥呼の時代前後には戦争がメインっぽい。(あくまで推測なので注意)